原発の話2

原発がどんなものか知ってほしい 第2版

先ほど紹介した記事が、デマだと評判が高いらしく、コメント欄で指摘をいただいた。
その点についてはお詫びしたい。
でも「私が言いたいことはそこじゃないんだよなぁ」という話の噛み合わなさがあって、これは私がこの記事に乗っかる形で、自分の言葉を噛み砕かず「これを読んでください」としてしまったところに非があるのだが、モヤモヤが残る。
そういうわけでもう一回書き直したいと思う。

反論記事としていくつか記事を紹介していただいた中で、これが私が言いたいことと近いなぁ思った記事は、原発がどんなものか知ってほしい 第2版である。

まず、前記事で私が乗っかった記事は、原発で二十年働いてきたという平井氏の反原発の主張である。
原発を「造る人」の立場として、現場には素人も多く施工ミスがあって当然だという主張、廃棄物を海に流さなくてはならないから海産物が汚染されているという主張、その後、原発のある土地の人だからという理由で結婚出来ないという差別をも生むと述べている。

それに対して「原発がどんなものか知ってほしい 第2版」では、まずこの文書自体が平井氏の講演を素人の原発反対派がより過激に誇張したものであることを述べている。
その詳細については『Re:原発がどんなものか知ってほしい』全文掲載で修正されている。
そして、その上で

原子力発電にどういう意見を持つかは個人の自由だ。反対することは少しも悪くない。 少なくとも部分的には懸念や不安があるのは、当然だろう。 ただし「この文書を根拠に」反対するというのは、問題がある。 反対するのがいけない、という意味ではない。 反対するのはいいのだが、この文書を持ち出すのはやめた方がいい。』
(*この文書とは平井氏の記事のこと)

と述べている。

いきなり「あなたそれはデマです」と言われると、反原発の人は思いそのものを否定されたような気になる。
その点で、反平井氏の人は損しているんじゃないかな、というのが生まれた感想。
もし原発賛成派でそれの根拠として反平井氏を主張するなら、平井氏を根拠に反原発する人と根本は同じだと思う。

(ちなみに私は平井氏に悪意があるとは思っていないし、「そういう事実(原発建設者に熟練していない作業員もいた、とか、作業場では時間との勝負、とか)」も過剰な表現にせよあったのかもしれないと思っている。
それから反平井氏の主張が嘘だとも思っていない。
多くの人が後押しするのだから本当なのだろう。
ただし、どちらの記述もその人にとっての真実だとは思うのだ。
内部のことを私が知るわけない。
そうだという人の意見を「そうかもしれない」と思うしかできない。)


というわけで、話を元に戻すと、私は平井氏がなんと言おうと反原発派です。
たまたまそれをすごい説得力で後押ししてくれてる(と思ったのが運の尽き!?)のが平井氏だったんですね。

大事なのは、「正しく怖がる」ことだという。
でもこれってすごく難しい。
原子力のことを勉強してきたわけでもない。
被曝経験もない。
原発のある土地で生活したこともない。

ただ、今までの原発事故、特に震災による福島の事故についてはギリギリセーフ(セーフだったのかよくわからないが)だっただけじゃないか、という気持ちを持っている。
特に阪神大震災以前の原発は本当にこれから起こるかもしれない地震に耐えうるのか?
地震といった災害でなくとも人的ミスは前提としてあるものだと思う。
そういったトラブルの時の対策を持っていないなら、原発も持つべきではない。
それから、「そんなに安全なら都心に作ればいいじゃないですか?」という気持ちもある。
国民への絶好のアピールになるではないか。

原発というと理想主義的だが、脱原発は必須事項、緊急事項だと思っている。
代替エネルギーについて私は何も意見できないが。


それからもう一つ、風評被害という二次被害
このことについて、風評する人を責められないと思う。
風評と事実の区別が曖昧だから。
どんな規模の事故だとどの範囲までどんな影響があるのか。一般の人には想像できない。
これはもう、事実をたくさん作って(検査を厳密に綿密に行って)、マスが発表する。
そうすることで縮小していくしかない。

もちろん個人的には加害者になりたくない。
でも原発事故の被害者にもなりたくない。
多分みんな、この二つの間で揺れ動いているんじゃないだろうか。


ここまで書いて10分ほど私はフリーズしていたわけですが、もうこれ「資本主義は正か悪か」みたいな、議論を始めるとずっと平行線で進んでいくような、気が遠くなりました。

というわけで、あくまで一票投じるという形で、私は反原発派です。
検査を通ったものなら元気に食べます。


【後記】またコメント欄でいろいろ話が交わされてますので、コメント欄もご覧ください。